稲毛区の中学校で教諭が校長によるパワーハラスメント(職権を背景とした嫌がらせ)によって自殺した事件で教諭の遺族は、民間企業の「労災」にあたる公務災害の認定を求めていく方針を固めたそうです。
少し前から民間企業では徹底され始めているパワハラについて教育現場でもようやく認知されてきたということでしょうか。
朝日新聞記事「教諭自殺 遺族が公務災害申請を訴える」
http://mytown.asahi.com/chiba/news.php?k_id=12000000610270002教員の場合、基本的には終身雇用ですし、すぐに転職という選択肢が存在しない現実がありますので、パワハラを受けていても表に出せないという状況が結構あったのではないかと想像できます。
いじめの問題でもそうですが、社会集団である以上いじめやパワハラのような問題はあって当然なのだと思います。
大事なことはそういうことが起きうることを常に認めた上で被害を最小限に防ぐためにどのような仕組みが準備できるのか、ということではないでしょうか。
いじめの報道があってから色々な人と意見交換をしますが「昔はいじめなんて無かった。今の子どもはおかしい」という話を何度か聞きました。しかし、私はそれはおかしいのではないかと思います。
いじめは昔からあって、それを友達であったり教師であったり社会が大きな問題にならない抑止力となっていたはずです。
子どもの心が貧しくなっていると決め付けるのではなく、社会全体の抑止力が弱まってきている現実を受け止め、今の時代に沿った仕組みを作らなければ、いつまでたっても「昔は良かった」という過去の美化でしかありません。
私は人というのは常に100を色々な素質に分配していると信じている人間です。
勉強ができない子でも代わりにスポーツや思いやりや変な趣味が優れていたり、人間は優劣はなく常に素質の合計値は100なのだと思います。
過去を懐かしむのは人間の未来を否定することです。
人は前に進む生き物です。
仮に昔の人に在ったものを今の人が失っているとすれば、その代わりに昔の人には無かった何かを得ているはずです。それを認め伸ばすことを考えなければ、結局「美しい日本」のような戦前回帰的な道徳論で終わる気がします。
昔の人が立派だったら戦争なんて起こさなかったはずですから。
酔っているので少し変な文章になっていると思います。
申し訳ありません。
posted by 熊谷としひと at 21:31| 東京

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