タイトルに何の関連性もありません。
今日は仕事帰りに会社の人と早稲田の写真展に行った後、激辛カレーを食べて、それから一新塾の個別面談を受けてきました。
早稲田の写真展は会社の人が私と同じ早稲田出身で写真サークルに所属していたらしく、その後輩がやっているものだそうな。
可もなく不可もなくという内容でしたが、たまにはこういう写真展を見るのはいいですね。
写真展を見ながら「熊谷さんは学生時代に何サークルでしたか?」と聞かれたので「詩吟サークルです」と答えた所、なんだか相当話題になりました。
くそぅ、そんなにウケなくてもいいじゃないか。どうせお爺さん趣味ですよ…
ここであえて主張すると、確かに詩吟といえばご年配の方がやっているイメージがありますが、本来詩吟の題材である漢詩は感情が溢れる、激情を綴ったもので、そういう意味では若者こそが詩吟をやるべきなのですよ。その心にふつふつと流れる熱き思いを詩の形にして吐き出すのです!
なんて言い訳してみました。でも意外と気持ちいいものですよ詩吟は。
あと写真展のアンケートの中に「夏の風物詩といえば?」というのがあったのですが、皆さんは何をイメージされますか?
私は朝顔、禁鳥の夏のCMでした。他の人は浴衣、スイカ、セミ、風鈴あたり。
その後早稲田大学の近くにある激辛カレーの店「メーヤウ」に。
ここは激辛カレー好きには結構有名な店で、私も学生時代毎週のように通っていました。美味さ、辛さ、量、安さ、全て揃った学生にとっては神のような店です。
私は★3つのポークカレー。私はこれが一番好き。★4つのチキンカレーを食べた人は相当汗が吹き出ておりました。尋常じゃない辛さなのです、チキンは。
そして書きながら今日は何も写真を撮っていないことに気づきました。ご飯が目の前にあるとすぐにがっつきたくなるんですよね。全くダメダメです…。
その後一新塾に行き面談を受けました。
そこで自分のアクションプランをさらに煮詰めるのですが、その中でようやく自分がなぜ最終的に政治家になるという決断をしたのか見えてきました。
もちろん千葉市を変えたい、政治を変えたいという思いがあるのですが、それを突き詰めると、
・夢を諦めるのではなく実現に向かってチャレンジする日本になって欲しい
・政治に対しても諦めたり愚痴を言うのではなく皆で変えるんだ、とみんなが思う日本にしたい
・そのために政治に縁の無い人間でも政治家になれることを証明したかった
・政治に熱い思いがあっても二の足を踏んでいた志のある人が政治家を目指しやすい社会を作りたい
・そのために自らが後ろに続く道を切り開き整備したい
・具体的には個人のリスクを減らし政党がリスクをある程度負担できる体制を作りたい
ということなのだと整理できました。
正直民主党も候補者への支援はまだまだできていません。人材のプール機能というか、政党の看板を背負って出てもらうからにはその人の人生を面倒見るくらいのバックアップ体制がないと優秀な人材は政治には出てきてくれません。
そうすると結局親戚に政治家がいたり、地元の有力者のような、リスクを取らなくて良い人だけが候補者になってしまいます。
私は真に日本が地方分権の社会になるためには地方の政党組織がしっかりとして、個人で選挙を戦うのではなく政党がある程度サポートできる体制がどこまで確立できるかだと思います。
私がなぜ政党や組織に拘るかというと政治は結局力だからです。
どれだけ無所属で良い人間であったとしても過半数を握らなければ、財政再建や政官財の癒着との決別など既存の権力構造に大きくメスを入れて未来への道筋を示すことはできません。
単独では与党が「まあ、それくらいなら特に反対しないよ」と言ってくれるような小さいことしか実現できません。大きな問題は問題提起以上は進みません。
勿論、それはそれで大事なことですし、無所属でできることもたくさんあります。
しかし今の日本は小手先の改革ではなく既存のシステムを大きく変えなければいけない時代に来ています。
未来の子供たちへ希望の持てる社会を残すためには、組織としてグループとして力を結集して何十年も脈々と続いてきた行政や自民党に立ち向かう必要があると私は考えます。
というわけで、とりあえず週末のお祭りの手伝い頑張ってきま〜す♪
■熊谷としひと公式Web:http://www.kumagai-chiba.com/
2006年07月21日
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今度行こう!
是非連れてって下さい!(^^)
たぶん、多かれ少なかれ、どっちの方向なのか、分かりませんが【失望】している人は、多いと思います。。。
しかし、それでは、なぜ【変革】しようと=行動=にでようと想わないのは、極端な言い方をすれば、=別に変革しなくても、今日明日の生活に困るわけではない。。。=という感じがあるからなのでは。。。???
ことさら、【シンドイ】思いをして、
ことさら、=自分よりも人のため=にと【心の底から、想って行動に移る】ためには、ある程度の環境がまわりに無ければならない。。。
昔は、それが、【貧乏からの脱出】
または、世界の強国からの【侵略】から、国家を、国民を、そして、【日本】という連綿と続いてきた【文化・文明・心のよりどころ】と言う物を守るため。。。という
ある種【差し迫った】物がありましたが。。。
【現在】は、どうでしょう。。。
もう長いこと=平和ボケ=をしている。。。と言われながらも、それが、むしろ、【誇るべきこと】のように思っている人もおり、
=現実=よりも、【思想が・想いが・感情が。。。】より、=現実感=を持って語られ
ことさら【現実】を直視した生き方をしなければいけない。。。と言っても
言うだけ【虚しい】ような感じがしてしまう【世相】の中で。。。。
これからの【政治家】を志す人は、まず、何が【今】の日本に欠けているのか。。。という事を確り把握している必要があるようにも思います。。。
【貧乏からの脱出】
【不正の無い社会の構築】
そして、
多くの人が、
=希望と夢にあふれた社会=を築く。。。という様な思いは非常に結構だと思いますが。。。。
これからの【社会】で
=夢とは、希望とは=何なのかという事を、もう一度問い直さなければならない時期に来ているのかもしれません。。。。
【旅】をして、いろんな所の【生活】を、つかの間でも、覗いてくることで、いろんな【希望が、夢が】ある事に驚きます。。。。
コメントありがとうございます。
村上龍の小説「希望の国のエクソダス」の主人公の有名なセリフに「この国には何でもある。ただ希望だけがない」というものがありますが、まさにこれがピッタリなのではないでしょうか。
しかし、私はこの言葉は間違っていると思います。「希望」というものは誰かに与えられるものではありません。自分で見つけるものです。そして「何でもある」からこそ、どんな夢でも思い実現することができる社会のはずなのです。他の国ではやりたいことが別にあったとしても生きていくために仕方が無く別のことをしている人が大勢いるのですから。
私は同じ世代の人と接していて、色々な夢を持っているにも関わらずなかなか挑戦にまで結びつかない状況をずっと見てきました。戦後の方がむしろベンチャースピリットはあったはずです。「挑戦すること」。これが人生で一番大事なのだということを子供の頃から教えるべきですし、それを支える社会に少しでもしていきたいと私は思っています。
その言葉と、反対な光景が好きで、今年は、【砂漠】をうろつく積りです。。。正しく、其処には=ここには何もない。ただ希望だけがある=または、【希望・夢】を描いていなければ、すがりつかなければ=生きていけない所=だと言う事が言えるのかもしれません。。。
確かに【希望・夢】などという物は、自分で見つける物であります。
しかし、【見つける方法】が、そして、見つけても、
それを【維持していく方法】が、
何でもあるところでは、
【分かりづらい】物が。。。。
そして、何よりも、【何故】その様なことをしなければならないのか。。。という事が、【何でもある】所では、希薄になってきて。。。。
確かに、=「挑戦すること」。これが人生で一番大事=だという思いは、大いに賛成ですが、何故、挑戦しなければならないのか。。。
それは、自分のため、、自分の愛する人のため、人のため・社会のため それとも、【自分】が生まれてきた【意味を・役目を】を確かめるため。。。
どれを支持するかで、これからの社会という物は、どの様にあるべきなのかと言う【想い】がかなり違ってくるような。。。。【気】が。。。。